悲しくなる瞬間とその対処法
私は大学でデザインを専攻しております。
サブカルチャーとかクールジャパンとか日本の独特な文化を世界に発信し、世界中の人に日本文化を知ってもらう、という大きな将来の夢へ切り口としてデザインという道を選んでみました。
これがすごく楽しくて、デザインすること、考えること、アイディアを出すこと、企画することはまってしまったと言っても過言ではないです。
まあ、だからと言って何かすごい賞をもらったとか、そういうわけではないのも現実です。
好き、と、できる、は全くの別物だということが身に染みてわかりますね。
そんな今日のぼやきテーマはそんなデザインを専攻する私が悲しくなる瞬間です。
もしかしたら、私とは全然違う分野を勉強している大学生にも共感してもらえるお話かもしれません。
◾︎ 専攻している分野と違う分野で成功している人。
奥山由之さんというカメラマンさんがいます。
私は彼の作品のファンで憧れの人でもあります。
そんな奥山さんの出身大学は慶応大学法学部。
、、、
法学部ぅ!!?!!?!!!?!?
私は初めてその経歴を見た時とてもびっくりしました。
そして、そのあととても凹んでしまってんです。
世の中にはいろんな人がいて、自分が専攻していた分野と全く違う仕事をしている人はごまんといるのはもちろん知っていましたが、なぜだか凹んでしまったんですね。
彼が仕事としてやっている分野を私は大学まで行って勉強しているのに、違う分野を学んできた人が自分の勉強している分野で成功している。
こう考えた時、とても悲しくなったんです。
今やっている勉強は意味があるのか、
と。
もちろん成功の理由には、生まれ持ったセンスとか、生活スタイルで培われてきた感性などが影響しているのは承知の上ですが。
また、とあるコンペに作品を応募した時の話です。
結構自信満々で作品を応募したのですが、通らず、受賞した人たちの作品と所属大学学部に目を通していると、
例年、芸術学部とかデザイン学部とかの人たちが賞をもらっているのに対し、私が応募した時に賞をもらった人たちの大半がデザインや芸術とはあまり関係のなさそうな学部の人たちでした。
唖然としましたね。
(別に受賞して作品が良いとは思ってませんが。笑)
そしてまた凹みました。
◾︎ そんなとき、私はこう考えた。
凹んでたんですよ。自分が思ってたよりも。でもふと周りを見て思ったんです。
大学デザイン専攻してるやつが英語がペラペラだったり、法律についてとても詳しかったり(特に知的財産権とかの分野)、微分積分が得意だったり。
周りを見渡せば他の分野を専門で勉強してる人よりなぜだか得意な人がいるんです。
だったら私もデザインとか芸術の分野にプラスしてたくさんの知識やセンスを磨いてみよう。
見下してるわけではないけど、現に私よりも英会話が喋れない英文学科の人たちを私は何人も知っています。
もしかしたら、そんな私を見てその子たちは私と同じように凹んでるのかもしれない。そう思うと、なんだか気楽になりました。
◾︎ つまり私が言いたいこと。
大学で専攻する、専門に勉強することに専念する。
それは当たり前のことであって、大学に行った以上必死にならないといけないです。
(まあ今の日本の全大学生が全員必死にしてるかと言われれば、少しアレなところもあるし、私も必死に勉強していると自信を持って言えないわけですが)
でも、その分野だけに囚われるなんてそんな窮屈なことしないでほしいです。
医療系を専攻して、バンドマンになる人がいれば、
数学を専攻して、ダンサーになる人いるし、
社会学を専攻して、会計士になる人もいれば、
経済学を専攻して、SEになる人もいれし、
法学を専攻して、カメラマンになる人もいる。
これから大学生になる人、これから就職活動を控える人、企業研究とかインターンとかをしているまたしたい人。
私も就職活動を控える身ですが、みなさんにも、自分のしたいことの切り口をたくさんの見つけて、たくさんの刺激を受けて、広い視野で将来のことを考えてほしいなと。思っております。
時間はまだあります!
分野に囚われず、いろんなことチャレンジしましょう!!
そしてできることを増やしていきましょう。
そうしたら、きっと自分よりも自分の専攻している分野の人に出会ったとき、凹むこともなくなるはずです。