ノスタルジック・ライフのすゝめ
ノスタルジックって言葉。
最近よく目にしますが、私この言葉が結構好きなんです。
結構流行り物には噛み付くタイプの私ですが、この言葉は気に入ってます。
なぜなら私はノスタルジック至上主義者だから。
今日は珍しくボヤキではなく語りです。
ノスタルジックの良さをみなさまに語ります。
◾︎ そもそもノスタルジックとは
遠い懐かしさを感じさせる、得がたいもの、失われたものなどに対して、心惹かれ、思いを馳せ、憧れや恋しさを抱くさまなどを意味する語。
要は過去を思い、懐かしさを感じること、ものをノスタルジックだなというわけですね。
例えば、駄菓子屋。
(写真はイメージです)
最近本当に減ってしまいましたよね。
そんな駄菓子屋をふと知らない街で見つけると、とても懐かしく思いませんか?
そしてなんだかあの頃を恋しく思ったりしませんか?
そんな瞬間、まさしくノスタルジックを感じているわけです。
◾︎ なぜ私がノスタルジック至上主義者なのか
インターネットや電子機器が発展している近年。
人間は手間を省くことを覚えてしまいました。
これはもちろん悪い意味ではありません。
しかし私は世の中は便利になりすぎているなあとしばしば思うことが増えました。
私が生まれた時はもうすでにだいぶ便利な世界だったと思いますが、それ以上に便利になって来ていますよね。21世紀。
送る手間を省くため、人はメールを発明しました。
そんなメールでさえ、送るのが面倒だからと行ってラインなどのSNSが多く利用されています。
切符を買う手間を省くため、人はSuicaやPASMOを発明しました。
今や、チャージもオートでできてしまう時代です。
本を持ち歩く手間を省くため、Kindleやらなにやらを発売しました。
鍵だって、カードキーでなんとかなってしまうし、
接客すらロボットがやってしまう時代です。
もちろん、最高にクールで技術者さんたちが様々な研究を重ねていった賜物です。
私も実際スマフォもSuicaもカードキーも使ってるし、ペッパーくん見るとテンション上がりますよ。
しかしそれでも、私はそんな便利すぎる世の中に少し違和感を覚えていて、これからもっと便利になるであろう世の中に不安や恐怖感すら覚えています。
なので私はノスタルジック至上主義というよりコンテンポラリー恐怖症なだけかもしれないですね。
(コンテンポラリーアートについてはまた別ですが)
とにかく、私は今私たちが省いている"手間"にとても愛着を持っていて、これからも大切にしていきたいです。
そしてこの"手間"にわたしはノスタルジックを感じているのです。
なのでわたしはノスタルジック至上主義。
手間をかけることが最高に楽しくて必要なことだと思ってます。
◾︎ 私のノスタルジック・ライフ
ノスタルジック至上主義は結構。
でも結局、実際にあなたは何か行動を起こしているのか。
そう思う方も少なくないと思います。
実際に私がやっている、ノスタルジックを忘れないための、ノスタルジック・ライフをご紹介します。
⚫︎ スマフォを含む電子機器を持たないで友達遊びに行く。
これは友達も巻き込んじゃってますが、あらかじめどこの駅のこの場所に待ち合わせとか、雑誌などを持参して町を探検したりしてます。
もちろんスマフォはなしです。
カメラだってフィルムを使います。
切符も買って電車に乗ります。
これ結構楽しいんですよ。
いかに今の世の中が便利すぎるのか、肌で感じることのできます。
そして、ケータイとか持ってなかったあの頃の感覚を思い出して、とっても懐かしくなりますよ。
⚫︎ あえて鈍行でおばあちゃんの家まで行く
これもなかなか面白いですよ。
6時間くらいかけて田舎のおばあちゃんの家まで行くんです。
普通に新幹線なら2時間もかからず行けてしまうのですけど、
あえてオール鈍行でゆったりまったりと行くんです。
田舎の電車なので、ひと昔前の車両とかに乗れたりしてノスタルジックを感じられますよ。
どこかに行く系ばかりになってしまいましたが、ノスタルジックを今の生活に感じたい人にはぴったりの方法だと思います。
◾︎ ノスタルジック・ライフのすヽめ
ノスタルジックを感じると、
人間の進化と発展を感じます。
これは私はとてもいいことだと思っています。
歴史を肌で感じられるということになると思っているので、今の生活のありがたみを再認識することができます。
そして過去を振り返り
それを懐かしく思える感情はとても大事で、自分たちが生きていきた年月を思い出させてくれます。
過去を振り返ることによって、得られるものも多いです。
昔はこうだったのかという勉強にもなります。
そして、突き進みすぎて張り詰めてしまった心を少しだけ、緩めることができます。
私はノスタルジックを感じることができて結構助かってたりするんですよ。
一回騙されたと思ってノスタルジックを、意識して感じてみてください。
便利さとは違う意味で、あなたの助けになるかもしれませんよ。
言葉使い論
どうもこんにちは。Oh!No!です。
今日は公園に行ってバイトまでの時間、本でも読んで過ごそうかと思ったのに、雨で残念です。
梅雨がそろそろやって来ますなあ。
さて、そんなこんなで今日は、学校の課題をしに都内某所のスターバックスにやって来たわけですが、
どうやらここら一帯は学生が修学旅行で訪れる場所らしいです。
(私は東京出身なので地方の学生さんが修学旅行等でどこへ行くのかよくわからないです。浅草とか、渋谷、原宿、ディズニーランドだけかと思ってた。)
そのため、こう言ったらとっても他のお客さんに失礼かもしれないし、何より頑張って笑顔を絶やさず働いているスタッフさんに大変申し訳ないが、
ここのスターバックスの言語治安がとても悪い。
言語治安っていうのは、言葉使いが悪いってこと。
私も尊敬語・謙譲語・敬語をうまいこと使い分けている自身はないし、いわゆる失礼に当たる言葉を使っていないかと聞かれれば自信を持ってYesとは答えられないかもしれない。。。。。。
ですが、それにしても、
言葉使いが悪すぎる!!!
私が高校生の時に比べたら俄然悪い。心臓にも悪い。
なんかこういうと私も老けて老害への道を順調に歩んでるなあと思うんですけど、
今日は言葉使いについてボヤきます。
■ 言葉使いによる印象の良し悪し。
人は見た目が9割と言いますが、
私は実際は6割くらいが見た目だと思ってます。
残りの4割は人柄です。
いいですか、私はあの新書は読んでいないのでどういう理論で人は見た目が9割と言っているのかわかりませんが、
一見怖そうな男の人が、めちゃめちゃ日本語上手で文学的な日本語表現をしていたら、とてもときめきませんが?
逆に、とてもかっこいい、有名人で言ったら坂口健太郎的なイケメンが、
とても言葉使いが悪く、「あなた」のことを「おめー」とか「面白い」のことを「うける」とか、すぐに「しねよ」とか言いながらまぁまぁな大きな声で喋ってたらどうですか?
私は引きます。とても。本当に。
そんなわけで、まあ今の例は極端ですけど、人柄の印象は言葉使いでとても左右されるわけです。
見た目はもちろん大事ですが、人柄もそれについでとても大切なのです。
■ 言葉使いを意識すること
私が言葉使いを気にし始めたのは恐らく中学2年の時が最初でした。
私は私立の女子校に通っていて、今日が共学校の男の子の言葉使いがとても怖いと感じたんですね。
でも、よくしゃべってみると彼はなかなかいい人でした。
言葉使いの良し悪しだけで人ってこんなに変わって見えるんだ、と私はその時思いました。
そこから言葉使いということを意識し始めました。
私も小学生のことろか中学の初めの頃とかは、まー言葉使いが悪いかったです。
(今でも少し悪くなることがあるかもしれませんが。。。。笑)
でもその時はわまりが使う〜とか、テレビの影響で〜とかが大きかったと思います。
完全に無意識ですよね。若い頃というのは。
こうやって小さいことでも意識し始めるというのは
大人への第一歩です。
これは言葉使いに限らずのことです。
服装を意識し始める。
異性を意識し始める。
進路を意識し始める。
意識した分だけ人は成長できるのかもしれませんね。
■ まとめ
日本人よ、
年齢がいくつであろうと、
男であろうと、女であろうと、
学歴が低かろうと、高かろうと、
綺麗に日本語を喋りましょう。
これは文法云々とは尊敬語・謙譲語とかの話ではないです。
言語治安を良くしていきましょう。
シンプルに汚くしなければいいだけのことです。
町や国に例えて考えて見ましょう。
治安の良し悪しは、その土地の地面を見ればわかると言います。
町や国が綺麗だと、人はとても安全に感じ、安全は安心を生みます。
言語治安良くしていきましょう。
言語を綺麗にしていきましょう。
話すということに安全と。安心を。
さて、私は課題に戻ることにします。
多分ここのスターバックスの店舗にはもうノマドをしに来ないことでしょう。
緑を感じて心を豊かにしたかったのに、実際はその逆でした。
以上、言葉使いと言葉遣いの違いがイマイチ良くわかってない、Oh!No!でした。
素敵な言葉使いライフを。
#ファインダー越しの私の世界 について考察してみる
インスタグラムでやたら見る
#ファインダー越しの私の世界
私はこのタグを好みません。
つけたら負けかなくらいの気持ちでいます。
なぜ私はこのタグを好まないのか、
このタグが流行ってる理由とは、
結局#ファインダー越しの私の世界ってなんなのか、
今日はこのよくわからない不思議なハッシュタグについてぼやきます。
◾︎ #ファインダー越しの私の世界 とは
インスタグラムなどで、よりたくさんの人に自分の写真を見てもらいたい。または、よりたくさんの人からのイイネが欲しい 。
そんな時に手助けをしてくれるのが# "ハッシュタグ"。
皆さんすでにご存知だと思いますし、利用してる人も多いはず。
そんな近年のハッシュタグ界隈でよく見るタグ。
それが、
#ファインダー越しの私の世界
このタグ。本当によく見ます。
主に一眼レフとかデジ一とかで写真を撮ってる、ちょっと写真齧ってます。って感じの人が使用してる率が高いです。
これに付随してよくつけられてるタグが
#写真撮ってる人と繋がりたい
私はこっちは別に嫌いじゃないです。無です。無。
写真撮ってる人と繋がりたいというタグは、素直に写真を撮ってる人と繋がりたいってことを主張してるから私は好きですよ、素直が一番。
でもね
#ファインダー越しの私の世界 はね。
なんと言うんだろう。
一言で言うと、
は?
って素直に感じちゃう。素直が一番。
そのタグを使って写真撮ってる人と繋がりたいって意図はわかるが、わかるよ、わかるけど、
は?
ってシンプルになっちゃうごめんなさい。
(てか、そのカメラファインダーついてなくねってカメラで撮ってる人もいるからちょっと面白い。)
そのタグをつけていいね欲しかったり、フォロワー増やしたかったらしたいなら、
もういっそ
#私の写真かっこいいですよね?お願いです。いいねしてください。
#私の素敵な写真みたかったらフォローしてください
#私が撮影したファインダー越しの素敵な世界をイイネしてくださいお願いします
みたいに、潔いハッシュタグつけちゃった方が良くないですか?
なぜ人々は #ファインダー越しの私の世界 とかいうなんとも言えない微妙なくそサブカル臭のするタグに頼るのでしょうか。
そこで私はある仮説を立てました。
このタグをつけるとたちまちどんな写真でもかっこよく見えてくるとかそんな効果がこのタグにはあるのではないか!?!!!?!?
と言う事で、検証してみました。
◾︎ #ファインダー越しの私の世界 をつけるとなんでもいい写真に見える説
検証のため使用したのはこれらの写真
➀本当に雰囲気いいめの写真
(一眼レフで撮影)
➁バンドマンのオフショット的な写真
(iPhoneで撮影)
③ただのブレてる写真
(デジ一で撮影)
◾︎ 結果
タグをつけても、
やっぱりセンスがないとダセエ。
なんでそんな当たり前のことに気がつかなかったのだろう。
◾︎ 結局 #ファインダー越しの私の世界 ってなんなんだろう
さて、ここまでとっても中身の無い内容でお送りしてきましたが。
結局このハッシュタグはなんなんだろうって考えた時の私が下した結論はこんな感じです。
先に言っておきますね。
すごい汚い表現で書かれた極論を主張します。
#ファインダー越しの私の世界
とは
自己顕示欲にまみれた、くそ中途半端サブカル共と
くそ中途半端サブカル共とが
フォローとイイネを互いにし合えるそんな薄っぺらい関係を築くためのハッシュタグである。
使いたい人は使えばいいし、
いけ好かない人使わなくて良い。
、、、
すっごい当たり前のこと言って終わっちゃったよ、、、、
この記事が一番薄っぺらいわ、、、、
、、結論、
Oh!No!は良い写真を撮れる人を妬んでいるだけなのであった、、、、
なんと悲しい性格、、あぁ、人生とは、、、
フォロワーやイイネのことについては、後日アップする、SNS論でボヤいていきたいと思います。
現代を生きる人の課題テーマの1つですが、思うことが山のようにあるので、私の持論をシェアできればなと思います。
悲しくなる瞬間とその対処法
私は大学でデザインを専攻しております。
サブカルチャーとかクールジャパンとか日本の独特な文化を世界に発信し、世界中の人に日本文化を知ってもらう、という大きな将来の夢へ切り口としてデザインという道を選んでみました。
これがすごく楽しくて、デザインすること、考えること、アイディアを出すこと、企画することはまってしまったと言っても過言ではないです。
まあ、だからと言って何かすごい賞をもらったとか、そういうわけではないのも現実です。
好き、と、できる、は全くの別物だということが身に染みてわかりますね。
そんな今日のぼやきテーマはそんなデザインを専攻する私が悲しくなる瞬間です。
もしかしたら、私とは全然違う分野を勉強している大学生にも共感してもらえるお話かもしれません。
◾︎ 専攻している分野と違う分野で成功している人。
奥山由之さんというカメラマンさんがいます。
私は彼の作品のファンで憧れの人でもあります。
そんな奥山さんの出身大学は慶応大学法学部。
、、、
法学部ぅ!!?!!?!!!?!?
私は初めてその経歴を見た時とてもびっくりしました。
そして、そのあととても凹んでしまってんです。
世の中にはいろんな人がいて、自分が専攻していた分野と全く違う仕事をしている人はごまんといるのはもちろん知っていましたが、なぜだか凹んでしまったんですね。
彼が仕事としてやっている分野を私は大学まで行って勉強しているのに、違う分野を学んできた人が自分の勉強している分野で成功している。
こう考えた時、とても悲しくなったんです。
今やっている勉強は意味があるのか、
と。
もちろん成功の理由には、生まれ持ったセンスとか、生活スタイルで培われてきた感性などが影響しているのは承知の上ですが。
また、とあるコンペに作品を応募した時の話です。
結構自信満々で作品を応募したのですが、通らず、受賞した人たちの作品と所属大学学部に目を通していると、
例年、芸術学部とかデザイン学部とかの人たちが賞をもらっているのに対し、私が応募した時に賞をもらった人たちの大半がデザインや芸術とはあまり関係のなさそうな学部の人たちでした。
唖然としましたね。
(別に受賞して作品が良いとは思ってませんが。笑)
そしてまた凹みました。
◾︎ そんなとき、私はこう考えた。
凹んでたんですよ。自分が思ってたよりも。でもふと周りを見て思ったんです。
大学デザイン専攻してるやつが英語がペラペラだったり、法律についてとても詳しかったり(特に知的財産権とかの分野)、微分積分が得意だったり。
周りを見渡せば他の分野を専門で勉強してる人よりなぜだか得意な人がいるんです。
だったら私もデザインとか芸術の分野にプラスしてたくさんの知識やセンスを磨いてみよう。
見下してるわけではないけど、現に私よりも英会話が喋れない英文学科の人たちを私は何人も知っています。
もしかしたら、そんな私を見てその子たちは私と同じように凹んでるのかもしれない。そう思うと、なんだか気楽になりました。
◾︎ つまり私が言いたいこと。
大学で専攻する、専門に勉強することに専念する。
それは当たり前のことであって、大学に行った以上必死にならないといけないです。
(まあ今の日本の全大学生が全員必死にしてるかと言われれば、少しアレなところもあるし、私も必死に勉強していると自信を持って言えないわけですが)
でも、その分野だけに囚われるなんてそんな窮屈なことしないでほしいです。
医療系を専攻して、バンドマンになる人がいれば、
数学を専攻して、ダンサーになる人いるし、
社会学を専攻して、会計士になる人もいれば、
経済学を専攻して、SEになる人もいれし、
法学を専攻して、カメラマンになる人もいる。
これから大学生になる人、これから就職活動を控える人、企業研究とかインターンとかをしているまたしたい人。
私も就職活動を控える身ですが、みなさんにも、自分のしたいことの切り口をたくさんの見つけて、たくさんの刺激を受けて、広い視野で将来のことを考えてほしいなと。思っております。
時間はまだあります!
分野に囚われず、いろんなことチャレンジしましょう!!
そしてできることを増やしていきましょう。
そうしたら、きっと自分よりも自分の専攻している分野の人に出会ったとき、凹むこともなくなるはずです。
美女と野獣を酷評してもいいかい
私小さい頃からディズニー映画が好きで、美女と野獣もそのうちの一つ。
美女と野獣はアニメ映画史上初めてアカデミー賞にノミネートされた映画で、語彙力がないと思われても仕方ないんですが、本当に綺麗な映画です。
これは映像が特別綺麗、というだけではなく、ストーリーも曲も特別綺麗ってことも含めて。
そんなディズニー映画がエマワトソンの主演で実写化されて今も公開中なことは皆さんご存知でしょうが、それにしてもよ。
私は思うわけですよ。
みんな、高評価すぎん??
あまりにもいい評判しか聞かないから、たまにはちょっと厳しい事言う人がいてもいいかなって感覚で今日の記事は書いてしまいます。
なお、ネタバレとか含んでいる可能性があるのでご注意を。
◾︎ まず最初に知っていてほしいこと。
私が実写版の美女と野獣を見に行ったのは、ゴールデンウィーク最終日の5/8のことでした。
実は私はその前の日の5/7にバケーションで行っていたハワイから帰ってきたばかりで、その帰りの飛行機でアニメ版の美女と野獣を見てしまったんです。
あの2014年くらいにグッドデザイン賞 受賞したJALの機体で。
それが今回の酷評へ繋がってしまったと言っても過言ではないでしょうね、、、
きっと、そのまま実写化だけ見てたら反応は違かったかもしれないです、、、
てなわけで、この記事を読む前に念頭に置いておいてほしいことは
- 私自身アニメ版の大ファンで100回以上は見ている。
- 実写版を見る前にアニメ版を見込んでしまった。
- 嫌いと言っているわけではない
以上3点です。
広い心で読んでいただければ幸いです。
◾︎ ストーリー編
さてさて、一番重要であろうストーリー編から語らせていただきますよ。
大まかなストーリーはほぼほぼ変わってませんでした。
だけどもだけども、おそらくアニメ版をよりも詳しくストーリー描きたかったからでしょうが、いろいろ要素が多すぎた印象です。
少しだけ細かく、気になった点を箇条書きにしてみます。
① ベルパパが悪いやつみたい
ベルパパが野獣に囚われてしまう原因。
アニメ版ではルミエールが森で迷ってしまったベルパパが部屋は招き入れてしまって、勝手にお城でくつろいでいたので野獣さんはベルパパを牢屋へ入れました。
しかし実写版ではベルパパが薔薇を盗んでしまい、囚われの身になってしまいます。
ここだけ見るとベルパパが悪い人に見えてしまって、あまりいい印象を受けませんでした。
② 呪いの話そんな序盤にしちゃうの
アニメ版では呪いの話のくだりはなかったですよね、、、
それ話しちゃっていいのー!!?!!?と見てるとかツッコミを入れざるを得なかった、、
③ 野獣さんは教養のある人だったっけ
アニメ版にはベルが野獣さんに文字の読み方を教えるシーンがあったような、、、
④ ベルママのストーリーいる?
仕方ないとはいえ、さらにベルパパが悪い人みたいに感じてしまいました、、、個人的な感想ですが、、、
⑤ ガストンが悪いやつすぎる件
アニメ版には憎たらしいけど、どこか可愛らしさがあるキュートなキャラクターでした、、でもなんだかただの悪いやつに見えちゃったなあ、、、
⑥ 魔女最後いる?
????ってなる展開でした。
消化不良になった。
⑦ 最後のベルちゃんのドレスは黄色のドレスで終わってほしかった
これは完全に私の好みなのですが、周りで踊ってる人と同じ系統の色で、ちょっと見つけにくいし、あんまり華がない印象でした。
◾︎映像編
• お金をかけてる割にはなんだか安っぽい
Be our guestとかもうちょっとお上品にして欲しかった感が個人的にあります。
初めのディズニーのクレジットとか、シンデレラ城から野獣さんのお城になってて凝ってるわぁ〜〜と思ってしまったので、そのあとのコテコテのCGがCan't stand でした。
• お城の呪いが解けるシーンとかなんだかなあ
これもお金をかけてる割に〜と同じ感想になってしまってるんですが、やっぱり安っぽかった印象です。
なんだか映像に関しては、前日に飛行機の機内の小さな画面で見たアニメ版の美女と野獣の方が何倍も感動してました、、、
やっぱりアニメ版は本当にすごい綺麗な映画だと再認識。、
◾︎ さいごに
友人に実写版美女と野獣の感想を聞くと9割方良い評価をしていて。
そのうちの8割の子達はアニメ版を見ていない、または小さい頃に見たきりで長らく見ていない子でした。
やはり前日に見ないで行けば感想が違かったかもしれないと思うと結構悔しい限りです。
しかしながら、素晴らしい点感動した点もたくさんあります。
一番感動したのは、野獣さんが人間の体を取り戻すシーンですね!!
カメラワークが完璧でした。あそこは鳥肌立ちました。
アニメ版と並べて見たいですが、ほとんど瓜二つ。
だけども実写版の映像の表現が加わり、それがとても効果的に現れていました。まじスタンディングオベーション。
あとは、やはり一番最初の朝の風景。
ほとんどアニメ版通り、予想を超える再現率でとても感動しました。
やっぱり音楽はとても良くて、じーんと何回もしてしまいました。
実写映画オリジナルも始めはいらないかなと思ってたんですけど、なかなか良き仕上がりで、ぐっじょぶです。
ですがですが、全体を通しては
• 微妙だな、、
• アニメに寄りたいのか、オリジナリティ出したいのかどっち、、、
と言うのが私の正直な感想です。
たくさんの要素を入れてしまったので、疑問が残るまま終わってしまったなあと感じました。
皆さんはどうでしたか?
見ましたか?美女と野獣?
やっぱり素晴らしい映画だと感じましたか???
是非アニメ版を見たことがない、または、しばらく見ていない、という方は是非アニメ版の美女と野獣を見てから、実写版を見て見てください。
少し見方が変わるかもしれませんよ。
サブカルチャー論
近年よく耳にする、サブカルチャーやサブカルという言葉。
私はこのワードになぜか違和感を持っていて、同じ違和感を持っている人は少なくないはず。
今日はそんなサブカルチャーについての人々の認識の差や、種類、そして私のサブカルチャー論をつらつらと論じていきたい。
みんな大好き Wikipediaさんによると
主流文化に対し、一部の集団を担い手とする文化を指す用語で、副次文化ないし下位文化とも訳される。
そして、はてなキーワードさんによると
主流の文化に対する、少数派に支持されている娯楽・趣味文化のこと。主に少数派(マイノリティ)によって形成されると言われているが、実際は多くの現代の若者たちがサブカルチャーを支持しているようである。
● サブカルチャー
英:Subculture
(Subとは下位とか副次的な意味があります。SubとかSubmrineとか下にあるやつのイメージ)
日本語訳すると「下位文化」とか「副次的文化」になります。
これの対義語が「高級文化(highculture)」とか「主流文化 (mainculture)」ですね。
これらは英語から日本語に訳しただけなので、
実際の日本におけるメインカルチャーやハイカルチャーとは少し違います。
そして日本では「高級文化」や「主流文化」とは少し異なった「大衆文化」が存在しています。
また、サブカルチャーというものは時代とともに代わり、
文化的地位は固定ではないです。
有名なお話ですが、歌舞伎という文化を例にあげてみましょう。
もともと歌舞伎はとっても身分の低い人たちへ向けた娯楽だったんです。
これって江戸時代とかからしたらとってもマイノリティな文化で、いわゆる今でいうサブカルチャーといっても過言ではないですよね。
それが今やどうでしょう。
歌舞伎と聞いたら、格式高くて、上品で教養のある人が好んで行って、席の値段も高くて、、、と行ったようなイメージを持ってる人ばかりなはず。
もはやサブカルチャー、下位文化ではないですよね。
どちらかというと高級文化ですよね。
こういったように、サブカルチャーと言われる文化はずっとサブカルチャーという位置に固定されるわけではないのです。
■ 実際の今のサブカルチャーとは
さてここで質問です。
サブカルサブカル。最近本当によく耳にしますよね。
どれがサブカルですか?
①
これは?
②
これなんかどう??
③
もういっちょこれは??
④
なんだか、言われてみればこれもこれもサブカルな気がする、、、と思う人が多かったと思います。
でも全然ジャンルは違いますよね。
なぜこれらはサブカルという言葉で一つにまとめられてしまってるのでしょうか。
■ 結局私が言いたいこと。
サブカル系がマイノリティだと主張しているそのカルチャーはもはや、一般ピープルも好きじゃないか。
アニメとか、下北系とか、原宿派手派手系とか。
確実に若者の中では主流になっていると私は感じています。
変わったものが好きな自分が好きな人は多いし、
サブカル系が好きそうな画像フィルターをみんな使っているし、
サブカル系 が好きそうなカフェはみんな行きたがるではないか。
むしろサブカルチャーがメイン(主流の)カルチャーになっているではないかい。
て言うか、もはやハイカルチャーとかメインカルチャーの方が今やマイノリティやないかい。
しかし、実際やはり主流文化と言ってしまうと、本来の意味のメインカルチャーとは違ってしまうのでよろしくない。
では今現在における日本のサブカルチャーとはなんなのか。
どう定義づければ良いのでしょうか。
ハイカルチャーとサブカルチャーの間だからミドルカルチャーだとする人もSNSで見受けられますが、なんだか私的にはしっくりこないんです。
となると、ある一定の若者が支持している文化、つまり若者文化・ユースカルチャー(Youth culture)という言葉が私はしっくりくるかなあと思ってます。
ユースカルチャー。
なんとも、サブカル系がダサいと思いそうな言葉ですね。
そう考えるとサブカルってとても言いやすい言葉ですよね。サブカルサブカル。
大衆はサブカルという言葉の響きが無意識のうちに好きになっていて、なんでもサブカルと言いたくなるだけな気がしてきたわ、、、
◾︎ もはや今のサブカルチャーはマジョリティ
サブカルは人と同じことを嫌がるのにサブカルになりたがる。
マイノリティを求めてマジョリティになってるんです。
なんだかこれってとても変なことじゃないですか??
上で述べた通り、最近サブカルチャーという言葉が多義化してなんだかこの日本の若者の3分の2くらいサブカル系じゃね。と言った感じになってるわけです。
人と違うことをしたい人が多くなっているんです。
でも人と違うことをしたい人が多い割には、人と違うことの選択肢が割と少なめなんですよね。
先ほどの質問であげた4通り+αとβって感じ。
だからもういっそサブカルという言葉に依存しないで、
それぞれに、なにか新しいカテゴリの名称をつけてしまった方が私はいいと思うんです。
だってサブカルに対するイメージが人によって違っちゃうから。
バンド系だと思ってサブカル系男子が好きです。って言うとたまにアニメオタク系が好きだと勘違いされちゃうからさ!!!!!!!!!!!!
とても困るよ!!!!!!!
結構サブカル系が好きで、、、と言うと
へぇ!なんのアニメが好きなの??って返されるんですよ!!
いやっ、、!確かにそれもサブカルチャーだけど、そう言うタイプのサブカルではなくて、、っ!!
ってなっちゃうから!!!
もうやめよう!!サブカルという言葉に依存するのは!!!
何回も言っていますが、もはや今のサブカルチャーはマジョリティなんです。
若者にとってはメインの文化なんです。
しかし、今回この記事で触れた文化を、早いうちにサブカルという言葉から解放しないと、これからの出てくるであろう本来の意味の新しいサブカル系が埋もれてしまうような気がして私はならないのです。
でも私はサブカル系がサブカルという言葉を好いていて、手放したくないものであるという事も知っています。
これからの日本のサブカルチャー文化。
どうなっていっちゃうんでしょうね。
そんな私のサブカルチャー論(というかサブカルという言葉に対するボヤキ)でした。
今回はこの辺で終わり。
みなさん、HAVE A NICE サブカル DAY.
文化を語るのはとても難しいし、いろんな考えを持ってる人が多いと思います。
ですので何かの拍子にこの記事に辿りついてしまったそこのあなた。そうあなたです。
「現代のサブカルチャー」について、意見や感想や考えをお聞きしたいです。
HELLO, WONDERLAND.
新学期や新生活にも慣れてきて心に余裕も持ちつつ
楽しく生活できている皆さん、そうではない5月病患者の皆さん。
どうもこんにちは、Oh!No!です。
なんの突拍子もなく突然に
無性に持論をつらつらを書ける場が欲しいなと思い立ち、
アイコンのロゴデザインが好きだったので、アメーバブログでも、ラインブログでも、ライブドアブログでもなく、
今回はてなブログを始めようかなとアカウントを作ってしまいました。
持論をたらたら書くのならべつに昔から使っているTwitterでいいじゃない。事足りるっしょ。ってずっと思ってたんです、私自身。
でも最近、使い分けるということについて深く考える機会があって、
短文サイトじゃなくて長々書けるブログサイトでひっそりと新しいことやってみようと、この歳になって新しくブログを開設してみました。
(この使い分けるってことについては近々公開しようと思ってる「SNSのあり方論」で語る予定です。)
実はブログを開設するのは初めてではなくて、過去にアメーバとFC2でブログ経験があります。
自分がいわゆる厨二病真っ盛りの頃からやっていたもので文章力が今以上に低くて黒歴史と言っても過言ではないですが、
なんだか消すとなると勿体無いなあと思ってしまい、今でもまだひっそりと残してあります。
(これについても「過去の自分につっこみを入れたい」という記事にししたいですね。)
そして、この頃から私はカテゴライズするということをあまり重要視してなくて、昔のブログでも全部同じカテゴリの記事にしちゃってたんですよね。
だから、検索はしにくいし、過去の記事にも遡りにくいしで、もうmessyという単語がぴったり当てはまるようなブログだったんです。文章も支離滅裂だし。
今回はある程度大人になったしそういったところはちゃんとしていきたいのですが、まあ、どうなるかは分からないですね。気をつけたい。
このブログにはターゲットなんていません。
強いていうなら変な文章を読むのが好きな方向けかな。
あとは暇を持て余している人。
私の考えに共感しても、しなくても、参考になっても、ならなくても、
なんでもいいんです。
こういう考えの奴もいるんだな程度に思っていただけるだけで幸いでございます。
面白くも、なんでもない、文章ですが、
Oh!no!がつらつらとなんの捻りもない持論を語っていきたいと思います。